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高山紗代子と眼鏡

とうとう作ってしまった。

這般の事情でtwitterには書きにくい、アイマスの考察(あたらない)や感想(2次含む)を置いておくところです。

 

初回から高山紗代子について。

なかなか掴みにくい子だし深入りしてるわけでもないのですが…

しかしブログを開設したくなるほど(私にとって)面白いことを思いついてしまったので。

 

 

紗代子はステージに立つ時かならず眼鏡を外します(K条さん激おこ)。
目が悪くて眼鏡がなければマトモな視界すら確保できないにもかかわらず。
この点はかなり"不自然"といえるでしょう。一体なぜそんなことをしなければならないのか?
そこには何らかの意味付けがなされているはずということで、少し掘り下げて考えてみます。
 
 
 
実は私はあまり紗代子のテキストは追えていないのですが(おいおい)、このテーマに関しては次のセリフが目に付きます。
 
「さあ、いきましょう! 大丈夫、メガネと一緒に弱い私は、しまいますっ。」(営業)
 
実は彼女、普段の熱血はかなり意図して作り上げているもので、本来の性格はかなりネガティブな部分も含むようです。
あえて熱血系を演じて、みんなや自分自身が弱気にならないよう鼓舞するのだと(ここもかなりおもしろそうな"不自然ポイント"ですが今回は深入りしません)。
しかし、杏奈のようなオンオフが眼鏡をトリガーとして切り替わっているというわけではなく、眼鏡をかけていても基本的にキャラは変わりません。
普段の劇場にいても彼女は強気な熱血キャラです。なのに上記のようなセリフが出てくる。
勿論ステージ上では緊張も桁違いでしょうし、一種のおまじないとして何か行動を約束付けるということはあるでしょう。
しかし、では何故彼女は「眼鏡を外す」という実際のパフォーマンスに悪影響を与えかねないようなことを約束付けてしまったのでしょうか?
前座が長くなりましたが、これに納得のいく説明を考えようというのが今回の趣旨です。
 
 
 
仮説①:視線を意識から追い出すため
 
眼鏡を外すと当然視界は悪くなり、観客席もぼやけて見えることになるでしょう。
ここで思い出されるのは、デレアニで緒方智絵里が行った「カエルさんのおまじない」です。
彼女は見られているという意識を和らげるため、仕事前に「観客をカエルだと思い込む」というおまじないをしていました。
紗代子も観客席にもやを掛けることによって、見られている緊張感を和らげていたのではないでしょうか。
(実際に視力の悪い人間としてもこれには説得力を感じます、というか実体験由来の思いつきです。)
 
さて、この仮説をもう少し考えてみましょう。
これが正しければ、彼女は「ファンをまともに見ていない」ことになります。
観客から自分に向けられる期待・視線を正面から受け止めず、逃げている。
それは、私の考える"自然なアイドル"像とは異なっています(やや高圧的な言い方になってしまいますが)。
実際に智絵里も、後にPからおまじないを止められ、ファンに直に向き合うという形で成長が描かれました。
この論法でいけば、彼女は「眼鏡を外さないべき」です。
 
私の思うこのシナリオでの彼女の到達点は、「vivid color」を眼鏡をかけて歌うことです。
曲名SRで眼鏡をつける、あるいは駒形さんがライブで眼鏡をして曲を披露する。
そのとき彼女は初めて世界を「フィルター」なしで見るでしょう。
普段の自分もそんなに弱いものじゃない、隠すべきものじゃないんだと、もやが晴れた新たな境地に立っていることでしょう。
そして高らかに「素顔のままでいいんだ」と歌い上げるのです。
 
最後妄想が爆発してしまいました。
彼女の初SR「優等生の素顔」で眼鏡を掛けていることにもかかってくるので、自分でもなかなか気に入っています(自画自賛)。
 
ところが、この結論にはやや淋しさを感じてしまいます。
要するに今までの紗代子のステージは全てホンモノではないということなのですから。
(メタ的にも、サービス開始から3年以上経ってもその成長イベントを一向に出さないのはどうなんだとなってしまいます。)
彼女はそんなに弱い子なのでしょうか?
これまでのステージはあくまでも偽りでしかないのでしょうか?
そう考えたときに、ひとつ別の可能性に思い当たりました。
 
 
 
仮説②:視覚情報を平滑化するため
 
麻雀漫画「咲-Saki-」に染谷まこというキャラクターがいます。
彼女は過去の膨大な牌譜を記憶しており、そこから現在の卓の視覚的状況に近いものを引き出すことで自分の取るべき手を見つける、という闘牌をします。
そしてその能力は、彼女が普段掛けている眼鏡を取ったときに万全の力を発揮するのです。
視界がぼやけている方がデータを引き出しやすいからだ、といいます。
 
彼女の行為は、科学でいう「平滑化」に相当するのではないかと思います。
現実の実験データには常に、知りたい現象とは無関係な細かいランダムなノイズが混じっています。
そこで、敢えてデータの解像度を落とすことで、大局的な構造を捉えやすくするというのが平滑化です(厳密な定義は知りませんがだいたい合ってるはず)。
 
紗代子も、これと同じようなことをしている可能性があります。
その場1回きりのライブという"特殊"ではなく、もっと普遍的な"アイドル"というものを感じたい。
アイドルという捜し物をするために、高山紗代子は眼鏡を外すのではないでしょうか。
 
ここから先は論理を整理できておらず、また飛躍気味になります。
紗代子がアイドルになった動機として、「あの子との約束」の存在が示唆されています。
「あの子」については未だほとんど情報がありませんが、少なくとも「あの子」にとってアイドルが重要なものであり、また現在「あの子」、あるいは2人の関係には何かしらのディスアドバンテージがあるだろうというのが予想できます。
もし紗代子がステージ上で「あの子」に想いを馳せるとしたら。
客体を平滑化する、普遍的な構造を見るということは、主体である紗代子自身にも跳ね返ってくるでしょう。
すなわちステージにいる高山紗代子の輪郭もぼやけてくる(普遍とはそういうことですきっと)。
そうして、恐らくはステージに立たない、立てない「あの子」にアイドルの世界を見せてあげているのかもしれません。
(なんかちょっと違うところに来てしまった…この辺もう少し詰める必要がありそうです。)
 
 
 
後半まだ整理しきれていない思考を垂れ流す感じになってしまいました。
話を掛けるのが大好きなので無駄に長くしてしまった感もあります。
ともあれ書きたいことは書けたので満足してます。ああ承認欲求。
①がちょっと悲しかったから何とか別の視点から見れないかと試行錯誤したという話です。
しかしいずれにせよ、紗代子には眼鏡を掛けていて欲しいという思いがあります。
別に眼鏡っ娘属性というわけではなく、アイマスのテーマとして一つ「わたしがわたしでいれるように」というのがあるんじゃないかと考えるからです(自担アピール)。
何が「わたし」かというのはまた複雑な問題ですが、いっぺん小細工なしでファンを見るというのはそう悪いことじゃないはずなので。
 
担当Pに話を聞きたい。ぼっちはこうして吠えるしかないのか…
とりあえず、仮説①のシナリオが当たったら自慢しよう。